カイロプラティックとは

■ 歴 史


1895年、米国アイオワ州に住むD.D.パーマーによってカイロプラクティックは誕生しました。
D.D.パーマーは、ある日17年間耳の聞こえない患者の脊椎に大きな隆起を見つけました。これが耳の聞こえない原因ではないかと思ったD.D.パーマーは長い説明の末、彼の許可を受け、この隆起を元の位置に戻すべく押しました。すると今まで聞こえなかった耳が聞こえるようになりました。

以後D.D.パーマーは脊椎のズレの矯正(アジャストメント)に注目し、数々の効果をあげ、近くに住む牧師のアドバイスでこれを”手によってなされた技=”カイロプラクティック”と1895年9月18日に命名し、今日でもカイロプラクティックデイとして功績をたたえています。
D.D.パーマーは、2年後の1897年に世界最初のカイロプラクティック・スクールをアイオワ州・ダベンポートに設立しました。

1905年には息子のB.J.パーマーがこれをパーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックとし、より科学的治療を追求する為、1910年にはレントゲンを導入しました。B.J.パーマーは「何処の椎骨が原因なのか?」という事を考えていました。

「いつ?」「どこを?」「いかにして?」「なぜ?」アジャストするのか?が彼の常なる悩みでしたが、レントゲン導入以降彼はアトラスの治療に集中するようになり、当時これをH.I.O(ホール・イン・ワン)テクニックと呼びました。
パーマー大学も1919年には2000人の学生が学ぶ学校にまで発展しました。

1929年(昭和4年)には環椎の軸転(ねじれ)変化について解明され、1933年(昭和8年)にはレントゲン撮影にバーテックス(頭頂像)が導入されH.I.O(当時ターグルリコイルテクニック)を不動のものとしました。

以後これらのレントゲンを元に「より少ない力でより効果的」な治療法を追求し、グロスティック博士により新しいレントゲン分析法が考案され、ジョージア州アトランタのスウェット博士によってアトラス・オーソゴナル・テクニックが考案されたのが1980年であります。


English→